グローバリズムへの新しい社会モデルの対応
―新しい権力主体の登場は金融危機克服への切り札になるのか―
法学部一年 待田裕人(Hiroto MACHIDA)
このレポートでは、昨今世界経済を翻弄してきたグローバリズムについてその問題点を考え、さらにグローバリズムを問題解決の切り札として利用する方法を模索する。
まず、かつてグローバリズムによって我々が直面した困難を金融面から概観し、次に、既に引き返せない水準にまで我々の経済構造に浸透した、時に困難をもたらす厄介者すなわちグローバリズムを、その困難を克服するために利用できないかという着想の基づき、現代の新たな社会モデル「中世化する世界」という視点から、経済全体を俯瞰するために金融のみならず製造業等も含めて、展望する。
1.世界経済の一体化
グローバリズムが社会に浸透し、加速度的に世界経済が発展した。ここでは、1929年の世界恐慌を皮切りに、世界各地の経済が密接な関係を持ったために、衝撃が一瞬にして世界市場を覆う様子を、金融面から記述し、「これまでのグローバリズム」というものを考える。
1.1 世界恐慌
世界経済の一体化を最も強く印象付けたものの一つは1929年の世界恐慌であろう。この世界恐慌は、突然のことで市場に大きな衝撃を与えた。TIME誌にはそれを示すかのような記述がみられる。
結局 Irving Fisherは1929年10月15日に株価は「永遠に高止まりするように思われる状態」に達したと宣言したマヌケだった。2週間後、株価はその状態から急落し〔中略〕四半世紀の間、1929年の水準まで戻ることはなかった[1]。
ウォール街に端を発した株価暴落は世界中に瞬く間に波及し、ワイマール共和国の経済再建計画にも破壊的なダメージを与えた。そして、ヴェルサイユ条約や他の取り決めによってワイマール共和国が遂行するとされていた第一次大戦の賠償金支払いも停滞し、イギリスやフランスの経済をさらに苦しめることとなった。もちろん日本もその影響を免れることはできず、深刻な不況に巻き込まれた。このように大恐慌は世界中に大きな打撃を与え、1929年1月には29億9800万ドルだった75カ国の総輸入額は、1933年1月には9億9200万ドルにまで低下した[2]。なお、この原因は在庫の拡大などによると一般的に言われているが、Milton
Friedmanによれば、連邦準備制度の大失敗の産物(the product of a Fed screwup)と分析した[3]。
1.2 アジア通貨危機
「ヘッジファンド」の名が一般に知れ渡った1997年のアジア通貨危機は、一国の通貨危機がアジア地域全体、そして新興国という枠組み全体に影響を及ぼしていった点において特徴的である。
1980年代後半からアジア諸国は外国からの資金流入を促すため、規制緩和を行い、実質的なドルペッグ制と高金利政策を実施することでアジアには海外からの投資が集中するようになった。さらにドルペッグ制のため、現地企業も現地銀行から低い金利で資金調達をすることができ、プラザ合意によるドル安への誘導でアジアの現地通貨も安くなり、輸出企業に有利な状況も生まれた。それとともに対ドルで円高が進んだため日本の輸出企業はアジアに進出した。これらの要因によって、アジアでは失業率の低下、税収の増加、産業技術水準の向上などが見られた。そして海外からの投資のさらなる拡大で経済は急速に発展した。1990年にはアジア太平洋地域に250億ドルの資金が流入したが、1996年には1100億ドルになっている[4]。
他方で、アメリカ政府は1995年から、プラザ合意からの為替政策を大きく転換し、ドル高政策をとるようになった。このためドルペッグ制を採用していたアジアの諸通貨は、ドルと連動して高くなり、アジア製品の価格競争力を大きく損ねる事態となり、輸出の伸び率が著しく低下した。一方、経常収支は赤字が続いていたが、海外の投資家は、輸出の急速な伸びによって将来的には黒字化されると考えていたので、特には問題視していなかった。しかし、輸出の伸びが鈍化すると、投資家はこの問題を重要視するようになった。さらには現地の銀行が、経済面よりも政治的に重要なものへ資金を貸し出すよう圧力がかけられるほか、貸し出し審査が杜撰になるといった問題もあった。これらの要素が投資家の投資意欲を削ぐ形となり、経常収支はさらに悪化し、ドルペッグ制の維持に対して疑問が生まれるようになった。これを好機として、ヘッジファンドはアジア諸国の通貨に対して空売りを仕掛けた。
アジア通貨危機の震源地であるタイでは、投資環境の要であり、国内企業の借金返済の必要条件であるドルペッグ制を維持するために中央銀行はバーツの防衛に取り組んだ。しかし、ヘッジファンド側のレバレッジを駆使した攻撃に屈し、1997年7月2日に変動相場制へ移行した。この影響によりタイの国内企業の倒産が相次ぎ、タイの信用をさらに低下させる悪循環に陥り、タイ=バーツの対米ドル為替相場は半年間に50パーセント以上下落した。通貨防衛について、アメリカ国務省は「結局、自国の通貨を守るために介入した国がその外貨準備を激減させることはよくある[5]」と指摘している。
しかし、衝撃はこれでは終わらなかったのである。アジアの新興国全体に対する不安が市場に広まり、マレーシア=リンギット、インドネシア=ルピア、韓国=ウォンへ飛び火していった。アメリカ国務省も、「いくつかの金融危機(特に1990年代後半にアジアを大きく揺さぶった金融危機)は、高まったグローバルな金融市場の相互依存を明白にした[6]」とし、アジア通貨危機が近年著しい世界経済の一体化がもたらした危機としている。もちろん香港=ドルもその煽りを受けたが、銀行間オーバーナイト金利を300パーセント超[7]にまで引き上げることでヘッジファンドの空売りを阻止し、ドルペッグ制の維持に成功した。しかし、この防衛策によって香港経済の悪化を予想した投資家は、香港企業の株式を一気に売り、香港市場の暴落につながった。これは香港と関係を持つ会社、そしてその会社と関係を持つ会社、という風に芋づる式に影響を与え、世界同時株安を引き起こした。香港市場からニューヨーク市場に飛び火した1997年10月には、ダウ平均株価が当時史上最安値を記録した。
1.3 中南米危機
1998年8月17日のロシアのデフォルトは、中南米の新興国にも大きな影響を与えた。投資家は「安全な新興国」という神話から恐怖を味わったことで、ブラジルやアルゼンチンからも資金を引き揚げた。1999年1月にはブラジルは固定相場制を断念し、変動相場制に転換したので、ブラジル=レアルは三分の一程度まで対ドルレートが暴落した。このレアル切り下げはブラジル製品の価格競争力を高めることにつながり、ブラジル経済は回復した。その一方で、隣国アルゼンチンの製品は競争力を失い、海外の投資家はアルゼンチンから大規模に資金を引き揚げるようになった。そのため2002年1月にアルゼンチンは固定相場制を放棄し、変動相場制へ移行した。なお、ブラジルはIMFの援助を受けてデフォルトを回避したが、煽りを受けたアルゼンチンはIMFの援助を受けられず、デフォルトに陥った。
1.4 2008年の世界同時不況
2008年の世界同時不況の端緒は、ドットコムバブルやエンロンのスキャンダルの後に現れた、外国資本の流入と複雑な金融分析が結びつく住宅バブル[8]とされている。その資金は海外の中央銀行、民間銀行、保険会社からのものだった。2001年に始まったこのバブルは数年のうちに満たされたが、不動産に基づく有価証券への需要は残り、すぐにサブプライムローンやCDSなどが不動産保証の一部となった。また、1999年のアメリカ金融市場における規制緩和がバブルに拍車をかけたことも重要である。しかし2007年夏末ごろには短期金利が上昇し、不動産価格の下落が見られるようになった。結局バブルは崩壊し、ウォール街の金融関係者にとってリスクを分散したかに見えた諸々の金融商品は、逆にシステム全体の危機を招いたのである。一方で、2008年の世界同時不況を引き起こしたのは米国でなく欧州(英国・スイス・ユーロ圏)である、と日銀は考えている[9]。世界同時不況の原因であるサブプライムローン問題を引き起こしたのは米国であるが、それを世界全体の問題に拡大させたのは、2002年以降新興国や産油国との取引を急拡大させ、世界最大級のハブに成長した欧州であり、サブプライムローン問題で新興国が資金を引き揚げたため、欧州の銀行間のドル取引が滞り、金利の上昇に発展した。特にユーロ圏と英国の間の取引が問題を増幅させたとのことである。ここから読み取れることは、アメリカ経済が完全に失敗したのではなかった、ということである。この点については結論においても論じたい。
2.中世化する世界
さて、前章において金融の混乱をもとに世界経済の一体化について述べたが、ここからは、金融業以外にも目を向け、国際社会の新しいモデルを検討したい。
2.1 企業の跨境化
これまでの「多国籍企業」といったものは、海外に投資して生産・流通拠点を持つ、いわゆる国際企業というもので、どこの国の企業かといった区別が容易だったが、現在世界を舞台に活躍している企業は、ほとんどその枠には収まらないだろう。すなわち株式の多くを外国人投資家が保有し、株式の持ち合いを海外の企業と行うことで、もはや「企業の国籍」が、資本の構造上、見えにくくなっているということである。さらに製造業においては、中間財生産を外国企業に頼るといったこともあり、ますます「企業の国籍」の判別が困難になっている。以下日本経済新聞[10]の記事を引用する。
日産自動車の外国人持ち株比率は6割を超え、ホンダとトヨタ自動車も、それぞれ3割前後である。〔中略〕自国企業の保護が、結果として外国人投資家を利することにもなりうる。〔中略〕日産はルノーの株式の15パーセントを保有し、逆にルノーは日産の44.5パーセントの株式を保有している。さらにこの提携では、ルノー出身のカルロス・ゴーン氏が両社の社長兼最高経営責任者を兼務し、日産が保有するルノー株式には議決権がないため、日産はもはやフランスの企業と言ってもよいほどだ。フランス政府は〔中略〕仏自動車企業への低利融資などの支援策を決めたが、ルノー支援は間接的に日産支援につながることになる。〔中略〕米政府は、危機に陥っているGMとクライスラーの再建をとりあえず支援する方針を最近決めたが、これらの支援は、間接的に日系部品メーカーを支援することにもなる。
以上の例は製造業におけるものだが、もはや多国籍企業は一つの国家から海外に多くの足を延ばしたアクターというよりも国境を無視したアクターとしてふるまっていることが分かる。すなわち、多国籍企業は「国際的(international)」アクターから「跨境的(trans-border / trans-national)」アクター[11]へと変化しているのである。また、企業が、自国政府を介さずに直接進出先の政府に対し、積極的な働きかけを行うことも目立ってきた。東芝のウェスティングハウス買収時には、ウェスティングハウス社がアメリカの歴史において重要な役割を担ってきたこともあり、アメリカ議会への働きかけも積極的に行われた[12]。
2.2 世界の中世化
前節において、跨境的アクターという新しい主体の出現について述べたが、その意義はどこに求められるのだろうか。
中世では各領邦が群雄割拠していたが、イタリア戦争のカトー=カンブレッジ条約で近代主権国家体制が始まり、三十年戦争のウェストファリア条約で近代主権国家体制が確立され、19世紀にはドイツやイタリアが統一され、そして20世紀には、東西冷戦の中で東西二つの巨大な権力にまでまとめ上げられた。1991年のソ連崩壊で、ついに単一の権力が世界を支配するのか、と思われたが、実際にはそうならなかった。国家レヴェルで見てみると1993年のEU発足など、単一権力に対抗するものが諸地域に生まれた。一方、権力主体は国家に限ったものではなくなり、これまでの主権国家体制とは異なる、国境を意識しない権力主体すなわち跨境的アクターが誕生した。中世から20世紀までは権力主体は国家となり、その数は減少傾向にあったが、21世紀に入ると、国家以外のアクターが台頭し、その数は増加してきたのである。この事態を、「世界の中世化」と呼ぶ。もちろん歴史的な実態は中世と現代では全く異なるが、権力主体の増減や各主体の質の差異において、この表現は適切といえるであろう。
筆者はここに新しいグローバル経済の可能性の一つを見出したい。経済混乱は多くの場合、保護主義によって増幅された。それは各国産業界が各国主権の下にあったからなされたのである。しかし、国家とは異質で、「国家」という概念を超える権力として新しいアクターが登場した今、上述の日本経済新聞の引用のように、各国の保護主義的政策はその本来の目的を達することが困難になってきている。これは将来的に、世界経済の硬直を防ぐという大きな効果をもたらすであろう。
3.最後に
前章において述べたように、跨境的アクターは、金融危機克服への切り札として大いに期待できるものである。その一方で、懸念すべき要素が含まれていることも容易に想像できる。すなわち、跨境的アクターの自由な活動のみでは世界経済の収縮を防ぐどころか、単なる跨境的アクターの暴走に終わってしまうだろう、ということである。それを食い止めるためには、これまでの規制緩和を見直し、急激な市場の変化を抑えるための規制が必要である。さらに、新しい経済秩序の管制塔としての役割を主権国家はもはや果たすことはできないであろう。IMFこそ重大な責任を負うべきであることは自明である。George Sorosは次のように述べる。
アメリカの消費者は、もはや世界経済の原動力になりえない。〔中略〕景気循環対策の財政赤字を融通するやり方を見つける責任はIMFにある[13]。
彼は、もはやアメリカが世界経済の原動力の時代は終わった、と考え、特にIMFの役割に大きな期待を寄せている。彼は、SDR(Special Drawing Rights)について「自国の財政赤字を融通できる富める国が、それができない、より貧しい国に譲るであろう[14]。」とも述べている。
SDRについては中国を中心とした新興市場国が盛んに「新たな基軸通貨」としての利用を主張している。しかし、そもそもSDRはIMFから担保なしで外貨を引き出すことができる権利であり、これまで市場に流通したことはない。それゆえ、SDRの基軸通貨としての利用は慎重な検討を経てなされるべきものであり、不況に見舞われたからと言って、すぐに手をつけるべきものではないと思われる。今までのところ、米ドルの流動性が失われていない以上、しばらくの間は現在の秩序を維持した方が賢明かと思われる。
だが、基軸通貨を発行する以上アメリカ政府はその国債の信用の裏付けである税収を確保しなければならない。アメリカは税収の増加を図り、タックスへイヴンの規制に乗り出している。世界経済の管制塔はIMFがやるにせよ、世界経済の潤滑油は、今しばらく米ドルに頼らなければならない。アメリカはその任を全うできるのだろうか。
跨境的アクターが国際社会に登場し、権力主体の数が増えることの最大の利益は何か。それは世界経済に陰りが見えたとき、各国でよく行われる保護主義的政策の実効性を低めて、世界経済の急激な収縮を抑える機能を期待できるということである。もちろん、その多くが私企業である以上、権力主体数の増加のみではその役は到底果たせないばかりか、むしろ混乱の震源地ともなりうる。しかし、IMFや国際的な規制の強化、米ドルの信用維持といった条件が加わると、その機能を十分に発揮できるだろう。
現在、国際的に議論されている経済安定化策の一つに、好況時に株価などが大きく上昇するからこそ急激な後退期が生じる、という考えから、好況時におけるその上昇幅を制限することで、後退期における下げ幅を小さいものにする、というものがある。これは変化の傾きを小さくすることで、経済の混乱を小さいものにするという発想が背景にある。この発想は、より厳格な規則の下でのマネーサプライ調節による好況時の過大な流動性の抑制や市場の乱高下を防ぐために投機性の高い金融取引への規制を強化することといったものにも通ずる。そして、もちろん、これまでこのレポートで述べてきたことも先の背景を共有している。これまで幾度も繰り返されてきた世界経済の「急激」な縮小を防ぐため、跨境的アクターが困難を乗り越えるための切り札になりうるのである。このアクターの登場は、経済混乱期での諸主体の対応を、「自分だけ」が生き残ることを目指したものから、グローバル市場に参加する「自分たち」が回復することを目指したものに変えるだろう。
これまで、グローバリズムは金融危機の火に油を注ぐ厄介者だったが、跨境的アクターとその暴走を食い止める規制、さらに世界経済の司令塔となるIMFと流動性の確保された基軸通貨の働きによって、グローバリズムはその危機を克服するために必要なシステムとなるであろう。
文献一覧
C.P.キンドルバーガー.
(1982). 大不況下の世界1929-1939. (石崎昭彦・木村一郎訳). 東京大学出版会.
NHKスペシャル「日本とアメリカ 第一回 “アメリカ”買収 〜グローバル化への苦闘〜」、2008年10月26日
TIME.
朝日新聞. 2009年7月12日.
日本経済新聞. 2009年4月15日.
細野真宏. (2003). 『経済のニュースがよくわかる本〈世界経済編〉』. 小学館.
[1] TIME.
[2] C.P.キンドルバーガー. (1982). 大不況下の世界1929-1939. (石崎昭彦・木村一郎訳). 東京大学出版会.
[3] TIME.
[4]
[5]
[6] Ibid., p.129
[7] 細野真宏 [2003:167]
[8]
[9] 朝日新聞. 2009年7月12日. 7面.
[10] 日本経済新聞. 2009年4月15日. 25面.
[11] ここでは私企業を主に取り扱っているが、跨境的アクターは企業に限らないことを述べておく。たとえば、国際的に活動しているNGO等では、国連等各種機関においてオブザーバーとして参加し、他の主権国家や国際機関と対等な発言力を有している団体もあり、それらも跨境的アクターのひとつである。
[12] NHKスペシャル「日本とアメリカ 第一回 “アメリカ”買収 〜グローバル化への苦闘〜」、2008年10月26日
[13]
[14] Ibid., p22
なお、同じ記事で、彼は政府系投資ファンドの役割にも期待を寄せている。